P02~05 社会福祉研究とソーシャルワークの礎を築いた 社会福祉研究所の創世期 熊本学園大学付属社会福祉研究所長 仁科 伸子  21世紀の第一四半世紀を目前に、本研究所は、1966年の発足から58年目を迎えた。そこで、熊本学園大学付属社会福祉研究所(以下、研究所と記す)の研究所設立の当初からの取り組みの歴史からその価値を振り返ってみる必要があると考え、筆を執った。  これまでに、豊島律先生が、研究所報第25号に「社会福祉研究所創立30周年のあゆみ」、研究所報第45号に守弘仁志先生が「社会福祉研究所50周年の歩み」を執筆されており、これらの先人の総括や、研究所に残された資料、大学の70周年記念誌などを参考に、研究所設立の歴史的経緯、研究的意義、地域との関係性について振り返る。 ●熊本学園大学発展の歴史とともに発足し歩んできた社会福祉研究所  1918年に設立された熊本海外協会が熊本学園大学の発祥となり、海外で活躍することを目指した若者たちが集い、1942年には「東洋語学専門学校」が発足した。戦時中に、教員と学生が一緒に立田山を開拓して、校舎を建設して、1943年5月30日に開校したことはよく知られている。1945(昭和20)年11月、「熊本語学専門学校」に名称を変更し、その後初代学長となる高橋守雄先生のもと、熊本短期大学となった。熊本短期大学が、現在大学が立地する大江に移転したのは1952年である。その後、1954年四年制大学「熊本商科大学」となって、現在の学園大学の礎が築かれた。  1965年11月に日本社会福祉学会の第13回大会が、初めて九州地方で開催されているが、熊本短期大学が会場となった。当時の論集に内田守先生1のご尽力により大会が開催された旨の記述がみられる(日本社会福祉学会 1965)。同年に、日本社会福祉学会九州支部が設立され、この翌年には、「九州の社会福祉」が創刊された。1964年には九州地域における日本社会福祉学会の会員は10人に満たなかったが、内田先生は、大会開催にあたって、九州各県を回って会員獲得運動をされ、1966年には一度に60名の会員が集まった(日本社会福祉学会九州支部 1966)。  このような歴史的経緯の中で、社会福祉研究所は、熊本短期大学の付属研究所として、1966年5月に設立された。初代所長は、内田先生であったと研究所の記録にある。研究所は、1966年4月20日の熊本短期大学合同教授会において発足したとされており、研究所に残っている設立趣意書資料によると、次のように記されている。  「本学では既に昭和25年に短期大学に社会科を設け、この方面の研究を続けてきたが、近年世界各国のこの分野の研究は、社会変化の速度の高まりと併行して、計画的な共同研究が盛んに行われて注目すべき成果を納めている。本学の社会関係のスタッフも漸く充実し、共同研究の気運も高まってきたので本年から『社会福祉研究所』を発足せしめることとなった。」また、事業として、 ・社会福祉並びにこれに関連ある諸科学の資料の蒐集、整備、交換及び利用の促進 ・社会福祉及び関連諸科学の調査研究並びにそれについての地域への助成 ・児童及び成人の相談 ・研究会、講習会、講演会、専門講座の開催及び研究報告の発刊 が挙げられている。相談事業は残念ながら閉鎖されたが、その他の事業については、設立当初からの伝統に基づき研究を重んじる姿勢が現在も継承されている。また、本研究所の特徴として、社会福祉学の研究者のみならず、学問のあらゆる領域から「社会福祉」について多角的に研究しようという意図で設立、運営されてきた伝統があることが拝察される。   ●研究所所報から見える社会福祉研究の体系化と基礎の構築への貢献  研究所報は1970年から発行され、現在第52号となっている。所報は、年1回発行されている時期と年2回発行している時期があるが、最新号は2024年3月に発刊された第52号である。  研究所が発足した当時は、高度経済成長で都市への人口流出が問題となっていたこともあり、社会福祉研究所所報の第1号は『過疎問題の構造』と題する調査報告書であった。熊本県町村議会議長会の委託により、1969年に過疎問題に関する研究会が発足し、農村社会の変容や社会問題に関して定期的な研究会が開催された(熊本短期大学付属社会福祉研究所 1970)。過疎化の調査対象となったのは、坂本村、球磨村、山江村、相良村、五木村、東陽町、河浦町の7町村で、山江班と河浦班に分かれて調査が行われた。この調査の参加者は、藤野浩一先生(社会学)、井上吉男先生(社会政策)、大塚信生先生(コミュニティ・オーガニゼーション)ら教員6人と、熊本短期大学農村社会研究会の学生13名、教育社会研究会の学生10名と、熊本商科大学から3名の学生が参加し、7日間にわたって地域に泊まり込んで調査を行った(熊本短期大学付属社会福祉研究所 1970)。第1号は、研究所内に1冊しか残っていないが、316頁に上り、今までの所報の中では最も厚い。  研究所報第2号(1973年)を見ると、「水俣病問題と人権」という研究が筆頭に書かれているが、これは、日本のソーシャルワークの父といわれる岡本民夫先生による研究である。1968年頃水俣病患者の自宅に出向き調査され、その悲惨な状況に言及されている。まず水俣病患者は、公害による健康被害を受け、次の汚染によって生活基盤の喪失と稼働能力を奪われたことによって貧困に陥り、生活保護を受給していること、本来治療や疾患の回復に使われるべき「見舞金」が、公的扶助の絶対的低位性によって、被害者の生活水準を最低限の状態にしていることを指摘している(岡本 1971)。また、被害者である人々が企業都市の社会的特殊性により沈黙を余儀なくされてきたことや、水俣病事件は、社会的災害の典型例であることを指摘している(岡本 1971)。第3号(1974年)は、岡本先生による『ケースワーク2文献目録』となっている。その歴史、原理、実践教育に関する文献のほか、応用分野として、家族、公的扶助、児童、精神医学、身体障害者、老人、リハビリテーション、司法、学校、産業の分野が示されており、当時の研究体系がそのまま現在に継承されてきたことが分かる。岡本先生は、本研究所で分野ごとの文献資料集をまとめられ、基本資料を探すことが難しかった時代に、多くの文献目録を集成されて、社会福祉学の発展に貢献された。この一連の研究は、『ケースワーク研究』1984年社会事業史文献賞を受賞され、それを記念して、研究所に大きな柱時計が寄贈されている。  第4号(1975年)には、定藤丈弘先生による「アメリカにおける福祉研運動の動向Ⅰ」、岡本先生による「ひとりぐらし老人の実態調査 熊本市の老人実態調査から」、林弘子先生による「社会福祉サービスと老人の権利」では、養護老人ホームにおける一人一室入居請求に関しての検討がなされている。第5号(1976年)には、林先生のウィルバー・J・コーヘン対ミルトン・フリードマン「社会保障 普遍主義か個別主義かⅠ」の翻訳、岡本先生の「カナダにおける社会福祉の動向」が掲載されている。第5号に限らず、創世期には、毎号外国文献の翻訳が掲載されており、翻訳を通して新しい知識を取り入れようとする足跡が見える。  このように、初期の研究所では、当時の社会福祉研究としては、かなり体系的な研究が行われ、錚々たるメンバーが活躍されていたことが分かる。岡本先生は、同志社大学に移られてからも本研究所との関係が続き、日本のソーシャルワークの体系の基礎は本研究所で形成されたともいえる。また、林弘子先生は、法学者の立場から社会福祉や社会保障に関する研究成果を残され、後に、宮崎公立大学の学長になられた。 ●地域貢献  研究所設立趣旨の一つに、「地域貢献」が掲げられ、その伝統は今も受け継がれている。設立当初事業の目玉に据えられたのが、家庭児童相談室で、「熊本短大の相談室は専門的な学問や技術の立場からいくぶんでもその問題の解決に役立ちたいと願って設けられたものです。心理学、社会学、教育学、精神衛生学、保健体育学、社会福祉学などの科学に基づいて個人や家庭の問題に就てご相談に応じその解決にご協力いたします」とされ、子どもの発達や障害、精神的、身体的な相談、非行、進学や就職、親子及び夫婦間の人間関係の不調和などに関する相談を行っていた。相談者は、14人の教員が名を連ね、相談日は、火曜、木曜、土曜の3日間とされていた。また、相談料は当初300円とされ有料だった。1970年頃には、岡本先生を中心に、相談事業の専門的発展が図られ、調査書の導入、熊本家庭裁判所の江藤一郎主任調査官の協力を得て、合同研究会を持ちながら積極的に相談事業に取り組まれた。しかし、江藤氏の異動と、研究所が研究活動に傾斜していったことにより相談事業は下火になっていったと記録されている(熊本商科大、熊本短期大学40周年誌 1983)。その後相談事業は、専門家への委託によって2020年まで継続されていたが、担当者の不在により閉所された。  研究を通じた地域貢献では、先にあげた過疎化と水俣病患者の生活と人権に関する研究のほか、「五木村総合調査」(1976年~)、「熊本市一人暮らし老人実態調査」(1973年)、「保育需要調査」(1977年)、「熊本県保育需要調査」(1990年~)、長寿社会開発センターの委託による「長寿社会公開講座」(1991年)などが実施された。 ●継承と発展  研究所の記録を紐解き、本研究所が多くの先生方の手によって育てられ、熊本学園大学の歩みとともに発展してきたことを通暁した。高度経済成長期による地域への影響や、保育所不足の時代における保育需要調査、熊本だけでなく全国から注目されてきた水俣病被害者の生活に迫る研究、子どもの発達にかかわる調査研究、80年代には地域福祉に関する研究など、創世期から発展期にかけての研究所の資料を読んでいると、先生方の社会福祉に対する情熱が犇々と伝わってきた。また、研究所は、常に地域密着の課題について、先進的視点をもって取り組みを行ってきたことが分かる。研究テーマが、その時の時代と地域の要請によって設定されていたことや、地方自治体などとの連携により、調査、研究が行われていたことを知り、現代社会において、今後研究所が地域社会に対してどのような姿勢で臨むべきかを深く考えさせられた。  熊本学園大学が、九州の社会福祉をけん引してきたということは、本学着任後、先人から聞かされてきたが、社会福祉学部ができるよりもはるかに早い段階から、熊本短大において社会福祉学が研究されていたことは、無明であり、今回資料をひもときはじめて知り得た。創世期の取り組みについては、社会福祉学発達の歴史として、研究し、記録にとどめておく必要があろう。特に、日本のソーシャルワークの父と言われる岡本民夫先生の初期の研究が、本研究所と子ども家庭相談室からスタートしたことも明らかになり、この点は、日本のソーシャルワーク研究における創成期の状況を明らかにするために、本研究所として研究を進めるべき重要な課題である。研究所にかかわって活躍してこられた先生方の中には、既に泉下の客となられた方々もおられることを考えると、当時をご存じの先生方にお話をお伺いすることは、急務である。  本稿では、紙幅の関係上、限られた先生方のお名前のみしか紹介できなかったこと、また、資料の不足により言及できない点が多かったことをお詫び申し上げる。人口減少、少子化によって、大学全体が予算の縮小を余儀なくされている中で過去15年ほどの間に、本研究所は、少なくとも3回ほかの付属研究所との統合による研究所閉鎖の危機に瀕しているが、研究所の歴史や業績をみると未来につなげていくべき責務を痛切に感じる。今後研究所として研究の歴史のほりおこしを進めていく中で、当時をご存知の方がいらっしゃったら、是非お話を拝聴させていただきたいということをお願い申し上げて、筆を休める。 n.nishina@kumagaku.ac.jp 引用・参照文献 1 内田先生は、ハンセン病療養所の医師として、また歌人内田守人として、ハンセン病患者とともに歌を詠まれて多くの歌集を出されている。50代になってから社会福祉研究に打ち込まれたが、『熊本県社会事業史稿』(1965)、『九州社会事業史』(1969)など多数の論文と著書が残っている。 2 当時は、ソーシャルワークではなくケースワークと呼称されていた。